転職をするお話。

さて、社会人2年目もはや3カ月が過ぎようとしています。
先日は朝にまさかの大地震。一人暮らしだとやっぱり少し怖かったですね。
これ以上地震こないで。。

表題の件なのですが、今年度末で今働いている会社を辞めて転職することにしました。
今の会社は昨年度新卒で入社して今年で2年目。関西の某中堅学習塾です。
2年目は教室長というポジションにも抜擢され、より責任感のある仕事を任されており、難しさを感じる一方、ある程度意欲的に取り組めているのではないかと思います。

なぜ転職するのか?

一見順風満帆に見えるのですが、それでも転職する理由、それは
「やりたいことをやりたい」
からです。
本当にアホみたいな理由ですが。
転職先も一般企業ではなくまさかのNPOです。
かなり挑戦です。

元々学生の時から社会問題に興味があり、様々なボランティアをしてきました。その中でも特に「子どもの貧困」という問題には力を入れて取り組みました。
生活保護を受給していたり、ひとり親家庭だったり、そんな家庭の子どもたちはどうしても他の家庭の子どもたちと比べて勉強できる環境が限られていたり、塾に通えなかったり、勉強に対してのスタートラインのところからかなりの差が生まれてしまいます。しかし、どんな家庭に生まれるかどうかなんて子どもたちが決められることではありません。
だからこそどんな家庭に生まれても子どもたちがしっかりと教育を受けることの出来る社会を作りたい、そしてそれぞれが希望する道に進める手助けをしたい、とずっと思い続けてきました。
しかし、実現するための手段を考えても大学4回生の自分では「独立して事業をする」という考えも無ければ、NPO等の団体に職員として入るにも新卒で入ることは団体の教育コスト的に考えて現実的ではありませんでした。
そんな中で数年は教育業界で頑張ってみて、そこから次のキャリアとしてNPO等を考えようと思い入社したのが今の会社です。
今の会社は早期のキャリアアップが望めるという点が一番の決め手になり入社しました。実際、1年で教室長というポストに着くことが出来たので描けているキャリア通りにここまできています。

なぜこのタイミングでの転職なのか

転職する理由として今の会社への不満があるのも事実です。労働時間の長さ、休みの少なさ、それに対する給料の見合わなさ、現場と本部の意思の乖離、、、この2年間で様々なしんどいことを経験してきました。
もちろん今後に活きることも多々あるでしょうが。
元々今の会社には3年いるつもりでした。3年いなければ身につくものも身につかないですし、ただの「価値のない人材」で終わる。よく新卒3年は続けろみたいな話がありますが、その話を信じたわけではなく本気で思っていました。
しかし、私が取り組みたい「子どもの貧困」の問題が加速度的に深刻になっていく現状を肌で感じる機会がこの2年間で非常に多かったのです。だからこそ3年は・・・なんて言ってる暇なんて無くて、とりあえずそこに飛び込んでみて自分の出来ることをやっていきたいという気持ちが日に日に強くなっていきました。
また、「子どもの貧困」問題に対する「教育」の面からの支援がまだまだこの日本では根付いていないと感じることも非常に大きいです。最近では子どもたちの居場所を作る、地域との結びつきを強くする、そして子どもたちに食事を提供するという目的で「こども食堂」なるものが展開されることが多くなってきました。非常に良い取り組みだと思うのですが、こども食堂では子どもたちの「今」の生活しか救えないわけです。しかし、子どもたちには「未来」があります。その「未来」を救っていけるのが教育なのに、その支援がまだまだ足りていないと強く感じています。

結局、転職して何をするのか

転職をして何をするのか。基本的には子ども達への学習支援事業なのですが、その中でも高校入学後の中退防止のフォロー、という点に力を入れていきたいと思っています。
やはり、ひとり親家庭生活保護受給家庭、その他家庭に何かしらの問題を抱えている子ども達は中退率が非常に高くなる傾向にあります。これまでの学習支援は子ども達に望ましい進路に進めるようにサービスを提供し、高校受験が終え、高校に入学する。このタイミングで止まっていました。
しかし、それをもうワンフェイズ上げたい。高校入学後のフォローもしっかりして関係を保ち続けることで中退を防止できる仕組みを作っていきたいです。




長々と書いてきましたが、とりあえず転職をするという報告でした。
まさか2年で転職するとは思っていませんでしたが、短い人生なのでやりたいことが出来るうちにやっていきたいと思います。

最近のお話。ー学習支援事業についてー

どうも。
久しぶりに長文を書きたくなりました。

今年の5月にこれまでの生活が大きく変わり(感付いてね)、就活も終えて、今は「残りの学生生活で自分のやりたいことをする」というテーマで日々を過ごしています。
もちろん遊ぶことも嫌いではないですが、学生の時だからこそ出来ること、学生という身分だから出来ること、そんなことをずっとしたかったのです。

話が変わりますが、僕は大学2回生の夏から地元の児童養護施設で学習ボランティアを始めました。さらに3回生の春からは大阪のとあるNPO法人に登録してそちらでも学習ボランティアをしていました。
そして、今年の夏前にそのNPO法人から大阪府某市での学習支援事業に加わってほしいとのお誘いを受けました。
もちろん快諾しましたが、当初は8月の夏休み期間のみの活動とする予定でした。
しかし、活動を続けるうちにやり甲斐を感じ始め、今では学生スタッフの身分でありながらも教材作成など実際の指導以外の面でも活動しています。

今やっている学習教室に通っている子どもたちは様々な理由で行政から支援を依頼された中学3年生です。
各々のレベルも違えば、性格も様々。その子たち一人ひとりに合わせた学習プログラムが必須です。
このような事は個人指導の学習塾に通えば済む話なのですが、様々な理由で通えない子たちばかりです。
しかし、現在の日本の公教育は歪みが生じていて、学校での教育のみでは足りず、学習塾に通う中学3年生が全体の6割に上るというデータからもその事は見て取れると思います。
調査データクリップ!子どもと教育 - ベネッセ教育総合研究所

言わば「塾に通わせるのが当たり前」という時代になりつつあるのです。
しっかり自らの生活を律して、自ら学習に取り組める子どもならば学習塾は必要ありませんが、学習教室に通っている子は家庭にしっかりと勉強できる学習環境が無い子たちがとても多いという現状もあります。

私がこういった活動をしていることは親しい友人には話したりしていますが、必ずと言って良いほど「それって親の自己責任なんちゃうん?」と言われます。

本当にそうでしょうか?

「貧困の連鎖」という言葉があります。
「貧困家庭の子どもは将来的に貧困家庭を形成しやすい」ということです。

つまりは、現在、貧困の状態にある家庭の親はそもそも貧困家庭で育った人たちが多く、このまま放っておくと貧困家庭の子どもたちも将来、貧困状態で暮らす可能性が高くなるということです。
このような状況を見ても「自己責任」だと言えるでしょうか?
むしろ、この「貧困の連鎖」は国が積極的に介入することにより食い止めなければならない課題だと思っています。

少し話が逸れましたが、現在の学習支援事業では様々な課題が山積しています。
そもそも「子どもとしっかり腹を割って話す」というところからハードルが高いですし、それが出来なければ個々のペースに合わせた学習計画を立てることもままなりません。
また、そのような形で学習支援事業を続けているとボランティアで関わってくれている学生スタッフも活動自体に魅力を感じることが少なくなり、スタッフ不足という問題も生じています。
さらに、行政からの委託事業なので、行政との意見のすり合わせも必要です。しかし、現場レベルで感じていることと行政の意見とではかなりの温度差があり、うまく話が進んでいません。

このような状況で、本当に前途多難な日々を過ごしています。
しかし、今このタイミングで我々が折れてしまうと、信頼して通い続けている子どもたちはどうなってしまうのだろうか?本当に高校に進学できるのだろうか?そう思うと絶対に来年3月までは折れることはできないと強く思います。
何が正解なのか、不正解なのか、それも分からないこともたくさんありますが、とにかく目の前の課題をこなし、一人でも多くの子どもたちが前向きな進路選択が出来るように手助けし続けるつもりです。

現在、NPO法人が行政からの委託を受けて事業を展開する、という形がとられていますが、将来的には日本全体でもっと行政主体の学習支援の輪が広がればと思っています。
例えば、放課後の学校で学習塾に通えない子どもたちが集い、地域の大学生が勉強を教え、行政は学生に謝礼をわたす。このようなシステムが出来上がればとても良いと思います。
子どもたちの学習面での効果はもちろん、学生という、子どもたちから見れば「お兄ちゃん、お姉ちゃん」のような立場の人間が関わることでより子どもたちからの本音を引き出すことができ、支援に役立てることができます。また、学生も、謝礼のみならず学生時代の貴重な経験を得られるでしょうし、学校の先生のワークライフバランスを考えた際にも負担を減らすことができます。
これはほんの一アイデアに過ぎないですが、将来の日本に絶対に必要なことだと思っています。






といった感じで、今日から不定期で「日常で感じたこと」を中心に思ったままのことを長々と書ける場としてはてなブログを始めようと思います。
もしかしたらこの記事だけで終わるかもしれませんし、1年以上続くかもしれません。
良ければこれからも読んでいただければと思います。